【ディボーション継続チャレンジ!】 創世記17章15〜21節 〜39日目〜

ディボーション

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今日のディボーション

聖書から神様を知れることがどんなに素晴らしいことか。特別掲示として聖書があることに感謝です。

主イエス・キリストの 2024年 2月 28 日(水)聖書箇所:創世記17:15-21(P.39)

<霊的備え>
    神は われらの避け所 また力。苦しむとき そこにある強き助け。
    それゆえ われらは恐れない。たとえ地は変わり 山々が揺れ 海のただ中に移るとも。
    たとえその水が立ち騒ぎ 泡立っても その水かさが増し 山々が揺れ動いても。(詩篇46:1-3)

<理解の手引き>
 主はアブラムの名をアブラハムと変えた後、その妻サライの名をサラと変えられました。サラとは、「王女」という意味です。この時、主は初めて、アブラハムの子孫を「サラによって」与えると具体的に約束されました。
 しかし、アブラハムはこの約束を信じることができませんでした。何故なら、この時、アブラハムは100歳になっており、その妻サラも90歳になっており、更年期を過ぎ、受胎の能力を失っていたからです。それは、人間的に見たら明らかに、不可能と思えることでした。
 ところが、神はこの不可能とも思える出産を可能にすることによって、この子どもが、神によって与えられたものであることを明らかにされたのでした。
 その子イサクとは、「笑い」という意味があります。しかし、これは、嘲笑ではなく、主の約束が成就したことへの喜びの笑いを意味していました。

<考えてみよう>
(観察)主は、アブラハムとサラに、どのような約束をされましたか? それに対する二人の反応はどうでしたか?

信じることができなかった。

(解釈)この時、アブラハムは笑い、神の約束を信じることができませんでしたが、それは何故ですか?

アブラハムもサラも、歳を取っており、子どもが生まれるはずがなかったから。

(適用)私達は、人間的に実現不可能と思える祈りの課題を、どのように受けとめていったら良いでしょうか?

神様を信頼し、神様がなさることならば必ず実現すると信じる。

<心に残ったみことばや気づき>

人間には不可能なことがたくさんあるけど、神様に不可能なことなど一つもない。

<今日の祈り> (教えられたことを短い祈りで表す)

神様のことばを素直に信じられる信仰を与えてください。私はどうしても人間の常識や科学的な事象にとらわれてあなたを信頼して待つことができない者です。神様というお方の前に自分の理性や常識を従えることができますように。アーメン

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