教会学校(日曜学校・CS)のお話 〜2024.3.10〜

教会学校(CS) 幼児向け 教材

「ゲツセマネの祈り」マタイの福音書26章36〜56節

 イエスさまは、ペテロとヤコブとヨハネの3人を連れてゲツセマネにいき、祈っていました。なぜ祈っていたのでしょうか。何を祈っていたのでしょう。

 それは、これから起こる十字架にかかるという苦しみのためでした。イエスさまも十字架にかかるのが怖かったのか?いやそうではありません。イエスさまにとっての十字架は、私たち人間が考える痛くて辛く死んでしまう恐怖のものだけではなかったのです。十字架のさばきは、永遠に愛の絆で結ばれ続けてきた父なる神との関係が切られるということなのです。子どもにとっては、お父さんとお母さんから突然親子じゃないし、あなたを別の子どものために罰するよと言われるようなものでした。イエスさまはそれがとても苦しいのです。できるならば、この十字架をなくしてくださいと祈るほどでした。

 イエスさまは目を覚まして祈るように弟子たちに言われていましたが、弟子たちは祈ることができませんでした。イエスさまの大変さをわかっておらず、神様との交わりの祈りすら、持つことができませんでした。イエスさまは、ひとり孤独に十字架への道へ進むことになります。

 イエスさまは、十字架の苦しみを受けたくないと祈りましたが、最後にこうも祈りました。私の願うようにではなく、父なる神様が望まれるままになさってください。こうして、神様におゆだねしたのでした。

 そうして、時がきました。

イエスさまを裏切るユダがイエスさまに近づき、しるしの口づけをしました。祭司長や律法学者や兵士たちにわかる合図でした。弟子たちは、大変なことになっていることに気づき、大祭司のしもべの一人の耳を切り落としましたが、イエスさまは戦うのはやめなさいと弟子を止めました。

 イエスさまは、抵抗することもできたのにも関わらず、父なる神様の望み通り、大人しく捕まり十字架への道を歩まれました。

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