創世記3章8〜13節
7日目突入!創造のわざを7日目に休まれた神様。私のディボーションは休みを知りません!となりたい!というよりも、このディボーションが一番の憩いであり、休みの時間でしたね!神様との関係がより深いものとなりますように。
主イエス・キリストの 2024年 1月19日(金) 聖書箇所: 創世記 3:8-13(P.7)
<霊的備え>
御名を知る者は あなたに拠り頼みます。主よ あなたを求める者を
あなたはお見捨てになりませんでした。主にほめ歌を歌え シオンに住まうその方に。
主のみわざを告げ知らせよ 国々の民に。 (詩篇9:10―11)
<理解の手引き>
神は、罪を犯した人間に「あなたは、どこにいるのか」と呼びかけられました。すべてをご存知の神が、このように質問されたのは、人の「存在」の在り方を問いかけられたのです。つまり、神との関係において、どのような状態にあるのかを問われたのでした。
神は人とその妻がなした「行動」よりも先に、神の前における立場、あるいは在り方を問題にされたのです。つまり、この問いによって、彼らが神から迷い出ている存在であることを自覚し、その罪を悔い改めることを求められたのです。
しかし、人は神から身を避けようとしました。そればかりか、人は自分の罪を女に,更には、神に転嫁しようとし,女は自分の罪を蛇のせいにしようとしたのです。これが罪を犯した人間の姿でした。
<考えてみよう>
(観察)神の呼びかけに対して、人とその妻はどのような反応を示しましたか?
主の御顔を避けて、園の木の間に身を隠した。
(解釈)全知の神が何故、このようなこと(9節)をわざわざ人に尋ねられたのでしょうか?
・人とその妻の心・存在・信仰はどこにあるのか問いかけ、人が悔い改めるため。
(適用)ここから、罪についてどのようなことを知ることができますか?
一度、罪を犯すとそれを隠したり、誤魔化したりするためにまた罪を重ねていってしまう。
何をしてしまったかという目に見える結果よりも、神様から離れていくことが何よりも罪であること。
<心に残ったみことばや気づき>
神である主は、人に呼びかけ、彼に言われた。「あなたはどこにいるのか」(創世記3章9節)
<今日の祈り> (教えられたことを短い祈りで表す)
私たち人間の心には罪があり、神様のたった一つの命令すら守れません。しかし、罪を犯して、それを隠すよりも、あなたに悔い改めることが大切だとわかりました。神様との関係性の復活を目指します。アーメン