「心配しない」 マタイの福音書6章25〜34節
何を食べよう?飲もう?着よう?
みんなは食べるものや着る物に悩んだりしますか?
少しでも美味しいものを。少しでも栄養のあるものを。みんなから「いいなー」と羨ましがられるようなものをどうしても欲しくなり、そのためにどうしたらいいのか考えたり、悩んだりしてしまうかもしれません。
食べ物や飲み物や着る物などの本当の意味はなんなのでしょう?
いのちや身体が健やかに守るものです。
しかし、いつの間にかいのちや身体のためではなく、どんな良いもの、好きなものを、着たり食べたりできるかということにこだわるようになってしまうのです。そして、そうしたものでいのちや身体の無駄な心配をするようになっていくのです。
空の鳥、野の花
イエスさまは、いのちのことやからだのことで、悩んだり心配したりしないようにと言われます。
そして、空の鳥、野の花を見るように言われます。
空の鳥も野の花は食べ物や着る物で悩んだり、心配したりしません。ありのままで生きている。それは、天の神様が守って育つようにしてくれているからです。
いのちを延ばせる?明日死ぬかもしれない?
悩んだり、心配したりしても、私たちのいのちを延ばせるわけじゃありません。私たちはいつ死ぬかわからないのです。一生懸命、いのちのために時間とお金をかけても、明日いのちを失うかもしれません。
明日、地震が起きたら、戦争のミサイルが飛んできたら、大きな病気になったとしたら、いくら良いものを食べても、飲んでも、着ても意味がないかもしれません。
必要をご存知の神
イエスさまは、いのちの心配したり、からだの楽しみを大事にしたりするのは「信仰の薄い人たち」「神を信頼して生きていない人たち」がすることだと言います。
あなたがたの必要はすべてご存知である。だから、良くしてくださらないわけがない。
神の国と神の義をまず求めなさい。
それに加えて必要なものが与えられる。これは、信じたらいいことがあるとか、祈ったら大金持ちになれるとか、そう言うものではありません。神さまの長い計画のうちで、一番良いようにしてくださると言うことです。ですから、苦しい時も、悲しい時もあるかもしれませんが、すべてが神の国のため、神の義のために役に立つものとして与えられます。