【いつまで続くかチャレンジ!】ディボーション 〜12日目〜

ディボーション

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創世記4章25節〜5章5節

他にやらなければならないことがたくさんあるけれど、神様との時間を大事にしたい。自分の自己中な思いや考えではなく、神様から見た世界、自分の生き方に導かれたい。

主イエス・キリストの 2024年 1月 25日(木)聖書箇所:創世記 4:25-5:5 (P.12)

<霊的備え>
神よ 私はあなたを呼び求めました。あなたは私に答えてくださるからです。
私に耳を傾けて 私のことばを聞いてください。あなたの右の手で奇しい恵みをお示しください。
向かい立つ者どもから 身を避ける者を救う方。瞳のように私を守り 御翼の陰にかくまってください。 (詩篇17:6-8)

<理解の手引き>
 アベルは兄カインによって殺され、そのカインも罪の結果、アダムとエバのもとを去っていきました。このことは、アダムとエバにとって、どんなにかつらく、悲しい事であった事でしょう。そのような二人にとって、セツの誕生は、大きな慰めでした。
 セツという名前は、「置く、備える」という意味があります。アベルの代わりに、アベルの信仰を受け継ぎ、彼の使命を果たすべき者として、神がもう一人の子セツを授けてくださったのです。
 このセツにも男の子が生まれ、その子をエノシュと名付けました。これは「人」という意味で、人の持つ「弱さ、もろさ」をあらわしています。つまり、人は神なしには全く弱くてもろい、死すべき存在だという認識がここにあります。この弱さを人が自覚した時、主の御名による祈りがうまれてくるのです。

<考えてみよう>
(観察)セツはどのような人でしたか。その人となりをあげてみてください。

アベルの代わりとなるような人。

(解釈)「主の名を呼ぶことを始めた」 (26 節)とは、神との関係において、どんな意味がありますか?

神を求めて、神と話をし、信じているということ

(適用)あなたにとって、祈りとは何でしょうか?

神様への感謝と交わり
静まり・整然

<心に残ったみことばや気づき>

どんな時でも祈りがあること。人は一人では弱くもろいため、神を頼る存在である。

<今日の祈り> (教えられたことを短い祈りで表す)

私が弱い人間だといつも思い、そして、あなたがいなければ、生きていけないことを思い出させてください。アーメン

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