聖書の話 マルコの福音書11章12〜14、20〜33節『何の権威によって』

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いちじくの木

聖書の要約(12〜14節)

イエス様が空腹を覚えられて、いちじくの木を見た。しかし、季節ではなく実はなっていなかった。つまり、イエス様は実を食べることができなかった。その結果、イエス様は、そのいちじくの木を呪った。

一見すると、
「わがままなイエス様だな」
「季節外れに実を求めても・・・」
「いちじくの木に八つ当たりするなんて」
と、読み取ってしまう。

でも、これもきっとイエス様の神という権威があることを理解していないとそうした誤解をしやすいのだろう。わたしもこれを自分が納得できるように解釈するのがとても難しい。

聖書の要約(20〜25節)

イエス様が呪われたいちじくの木が根本から枯れていた。それを弟子のペテロが指摘した。イエス様は「神を信じなさい」と答えた。続けて、「この山に向かって海に入れと言い、疑わずに信じるならその通りになる。」

これまたチグハグしたやりとりに感じてしまう。
しかし、これもまたイエス様の真意が込められている。普通ではあり得ないことでも、疑わずに信じればその通りになるという。でも、ここでも神の権威が大きく関わっているのだろう。

わたしは、湖のある場所に寝泊まりしたことがある。その湖を見つめながら、そこの山が湖に入っちゃったらどうなるのだろうと想像してみたのだ。目の前で山が動き、湖にダイブするのか。入るって言っても、風化する感じで砂レベルで少しずつ雨風によって時間をかけて湖に入っていくのか。もし、前者なら、自分に被害が及ぶのではないかと怖いと感じた。その時に、疑わずに信じてその通りになったら恐ろしい、つまりどこかで疑うという感じとは違うかもしれないが、どこかで起こってほしくないと願ってしまっているのだと感じた。疑わずに信じ切ることがどれだけ難しいことか。

権威問答

聖書の要約(27〜33節)

イエス様 VS 祭司長・律法学者・長老たち(ユダヤ教指導者たち)
イエスがしていることに疑問や妬みや敵意を持ったユダヤ教指導者たちは、イエス様に尋ねた。「何の権威によって、これらのことをしているのか。だれがあなたにこれらのことをする権威を授けたのか。」と。イエス様は、質問返しをした。「バプテスマのヨハネは、天から来たのか、人から来たのか。これに答えたら、何の権威によってこれらのことをしているのか言おう。」すると、彼らは、群衆を恐れて「わかりません」と答えた。もし、人から生まれたただの人間に過ぎないと答えると、預言者として信じている群衆からバッシングを受けるし、もし、神が遣わされた天からの存在と言うならばなぜヨハネの言うことを素直に聞かなかったのかと。イエス様は、答えられない彼らを見て、「わたしも何の権威によってなのかを答えない」と言われた。

ヨハネを天からの存在として信じない = イエスをも天からのものとして信じない

イエス様ご自身も、天からの存在であり、ヨハネよりもさらに偉大である。神の権威によって、人間には想像も理解も及ばない域で、すべてのことを行っているのだ。それをただ信じなさいと言われている。

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