「裁判」マタイの福音書26章57〜68節、27章1〜26節
イエス様を捕まえた人たちは、大祭司カヤパのところにイエス様を連れてきました。夜遅くでしたが、ユダヤ人たちの裁判をするためでした。祭司長たちは、イエス様を死刑にしたかったので、イエス様のことを悪く言いました。「この人は、神の神殿を壊して、それを3日で建て直すことができるなんて嘘をついています」
大祭司カヤパもイエスに尋ねましたが、イエス様は何も答えませんでした。このままではイエス様が悪者になってしまいます。「おまえは、神の子キリストなのか?」と聞かれた時に、イエス様は、「その通りです。今から、私が父なる神と共に天に上り、そして再び天から降ってくるのを見ることになります。」と答えた。すると、カヤパは自分の服を引き裂いて怒ってしまいました。
ユダヤ人たちは、神様はただお一人であること、そして神様以外に神様と信じてはいけないと信じていたので、イエス様が父なる神様と同じ神であるということを信じることができず、自分が神であるという嘘をついた罪として死刑が決まりました。
12弟子のイスカリオテのユダは、イエス様が死刑になることを知って、後悔しました。祭司長たちのところにいき、もらったお金を返し、イエス様が死刑にならないようにお願いをしました。しかし、祭司長たちは、「私たちの知ったことではない。自分でイエスを裏切ったのだから。」と知らんぷりしました。ユダさんは、銀貨を神殿に投げ込んで、首を吊って死んでしまいました。自分がしてしまった罪に気づいたのですが、そのあと、神様の赦しと救いを受け取ることができずに自分で死んでしまったのです。ユダさんは、とんでもない罪を犯してしまいましたが、そんなユダさんの罪のために、今からイエス様が十字架にかかって死のうとされていたのに。
ユダヤの裁判で、死刑に決まったイエス様は、ローマの総督のピラトのところに連れて行かれました。今度はローマのピラトから、本当に死刑にすべきかどうか裁判を受けることになります。長老たちは、イエス様をどうにか死刑にしようとたくさん悪いことを訴えていました。しかし、イエス様は黙ったままでした。ピラトは、そんなイエス様を見て、「この人に罪はない。」と思いました。
この過越の祭りの時に、悪いことをして捕まっている人たちの中から一人だけ選んで罰を受けないように助けることができるのでした。ピラトは、群衆に言いました。「一人罰を受けずに助けることができるが、このイエスか、それともバラバという人どちらを解放しよう?」ピラトは、ここでイエス様を助け解放しようと思っていましたが、祭司長たちが群衆にバラバを解放するように伝えていたので、群衆は「バラバだ」と叫びました。そうして、バラバが解放されることになりました。
ピラトは、群衆に聞きます。「では、このイエスはどうしたら良いのか?」すると、群衆は「十字架につけろ」と言いました。大勢の人が「十字架につけろ」と叫ぶので、ピラトは群衆の勢いに負けて、イエスを十字架につけてもよいという許可を出してしまいました。
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