信仰の悩み
教会に通い、洗礼を受けてクリスチャンになったけど、本当にこれでいいのかな?
牧師先生はもちろん、教会に来ている他の人も聖書のことや信仰のことをよく知っていて、自分だけ聖書や信仰の知識がないような気が・・・焦ってしまう。
クリスチャンになって洗礼を受けるには、聖書をもっと学ばなければ!!
でも、聖書に書いてあることって難しくない?
ただ聖書を読んでいれば学べるの??
教会か誰かに教えてもらう必要がある???
聖書の正しい学び方って????
クリスチャンなんだけど、最近なんか信仰が落ちている気がする・・・。信じたばかりの時は燃えていたのに・・・どうしたらいいの??
悩みや思いを抱いたことはありませんか?
かく言う私も生まれた時から教会に通い、洗礼を受けて20年以上経っていますが、こうした悩みが消えることはなく、「聖書を学ばなければ」「神様ともっと近しく生活して生きたい」と毎度毎度思わされては、途絶えてしまうことの繰り返しです。どうすれば、自分のペースや信仰歴にあった学びや成長ができるようになるのか?
そのためには、「ディボーション(静思の時)」が必要です。
ディボーションとは?
「ディボーション」は、”devotion (:献身)”であり、神様に自分自身を献げることを意味しています。自分自身を献げるとはどういうことでしょう?私たちは生きる上で、自分の行動と生活時間を色々なことに使うことができます。自分の楽しみの趣味のために、家族のために、仕事や家事のためになど。その一つひとつが神様のために使っていることにつながることもありますが、心も身体も時間も神様に専念していることは少ないでしょう。そうした意味での神様に専念できる時間をディボーション(静思の時)と呼びます。
このディボーション(静思の時)の時間を取ることにより、私たちは神様の思い、メッセージを受け取り、生活に生かすことができるのです。いわゆる、信仰の成長と言えるでしょう。
その信仰の成長と言えるディボーションの時間がとれているのか、自分の生活を振り返ってみましょう。どうですか?自分の生活の動機や目的は神様に専念していたと言えるでしょうか?
仮に、あなたが、聖書を読んだり、祈ったり、教会に行ったりといった行動をしていたとします。しかし、聖書を読みながら”スマホが気になって、早く済ませちゃおう”などと、聖書を流し読みをして読んだことにしてしまうことや、お祈りしている最中に”お腹すいたなー何食べようかなー”と気が散ってしまうことや、教会で礼拝をしていても”昨日寝不足で眠くて頭に入らない”と身体は教会にありながらも心あらずなこともあるでしょう。また、予定によっては毎日続かないという人も多いと思います。そして、そのうちディボーションをしなくなってしまうことも。
・どうやってディボーションの時を持ったら良いのかわからない人
・形や時間だけはディボーションしているつもりだけれど、信仰の成長を感じにくい人
・ヘルパーやガイドなどの教材を使っているが、毎日できなくて借金が溜まっていくような気持ちを抱いてしまう人
のために、オススメのやり方をお伝えします。
基本的なディボーションのもち方を知り、聖書の読み方を身につけられるやり方、また、できなかった日の分が気にならない長続きする教材の提案をしたいと思います。
ディボーション(静思の時)の進め方
ディボーション(静思の時)の意味
聖書内の人物も神様と交わることの意味、願いを感じていました。「静思の時ーはじめに」の文書内に記載しています。【下記参照↓↓】
「静思の時」の使い方
具体的にどのようなやり方で進めていくのかを「静思の時ー使い方」の文書内に記載しています。
またその前に、創世記のサンプルの一部分もあげておきます。
「静思の時〈創世記〉」と「①創世記1:1−23」を具体的に見ながら、「静思の時ー使い方」を見ていくとイメージがつきやすいでしょう。【下記参照↓↓】
これから皆さんのディボーションが充実し、実践していけると良いですね。私も楽しみたいと思います。
そのほかに、キリスト教書店などにヘルパーやガイドが売っていますので、そちらも購入して取り組んでみると良いでしょう。自分に合ったディボーションの仕方を探究して見てください。