創世記9章18〜29節
ダイエットが続かない、ディボーションが続かない、似ている・・・キレイになるには、継続は必須ですね・・・
主イエス・キリストの 2024年 2月 4日(日)聖書箇所:創世記 9:18-29(P.22)
<霊的備え>
幸いなことよ その背きを赦され 罪をおおわれた人は。
幸いなことよ 主が咎をお認めにならず、その霊に欺きがない人は。 (詩篇32:1-2)
<理解の手引き>
神と共に歩み続けたノアも、酒に酔って自制心を失い、裸の恥をさらしてしまいました。このノアの醜態に、息子たちはそれぞれ異なる対応をしました。
カナンの父ハムは父の裸を見てしまいました。これは、ちらっと見たということではなく、じっと見たということです。おそらく、その時、みだらな思いを抱いた事でしょう。ハムは外にいた二人の兄弟にも告げたのです。彼は父の弱さや失敗に心を痛めるのではなく、むしろそれを言いふらしたのです。
これに対して、セムとヤフェテは、全く別の対応をしました。彼らは、着物を取って、後ろ向きに歩いて行って、父の裸を覆ったのでした。彼らは父を辱めようとせずに、愛をもって父の恥や弱さを覆ったのでした。
<考えてみよう>
(観察)ノアの醜態に対して、息子たちはそれぞれ、どのような対応をしましたか?
ハムは、父の裸を見て、ほかの兄弟に言いふらした。
セム・ヤフェテは、父の裸を見ずに、着物で覆った。
(解釈)何故、セムとヤフェテは、そのような対応をしたのですか?
父を尊敬し、愛していたから。
(適用)私達は、人の失敗や罪に接した時、どのような対応をしたらよいでしょうか?
決して、人格を責めたりせず、愛を持って接する。
<心に残ったみことばや気づき>
人間は、絶対に弱さを持っており、失敗や罪を犯しやすいが、神様はそんな人間でも、愛を持って接してくださる。
<今日の祈り> (教えられたことを短い祈りで表す)
神様は、失敗しやすく罪に汚れた私たちをも愛してくださるのですね。今日も私の罪をあなたの愛で覆ってくださり、感謝します。アーメン