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今日のディボーション
自分の価値のなさを感じる。滅びても仕方のない存在である。神の目にも人の目にも。なぜ自分は生かされているのか。
主イエス・キリストの 2024年3月9日(土)聖書箇所:創世記19:12-22(P.45)
<霊的備え>
神よ 私をあわれんでください。あなたの恵みにしたがって。
私の背きをぬぐい去ってください。あなたの豊かなあわれみによって。
私の咎を 私からすっかり洗い去り 私の罪から 私をきよめてください。(詩篇51:1-2)
<理解の手引き>
主はソドムを滅ぼされることを決定しました。ソドムには10人の正しい者もいなかったからです。しかし、主はロトとその家族を救おうとされました。
ところが、主のさばきを聞いた婿たちは、それを信じようとしませんでした。恐らく、彼らは目の前の幸福を追求し、自分の欲望を満たすことに心を奪われており、神のさばきを冗談のようにしか考えていなかったのでしょう。
日頃から、神のみことばを信じ、それに従う訓練のできていない者は、いざという時にも神のみことばが信じられないのです。ロトの信仰もまた中途半端でした。御使いの再三の促がしにもかかわらず、ロトはソドムの町を出て行くことをためらったのです。それは今まで彼の築いた財産に未練があったからです。ロトの姿の中に、神にも仕え、富にも仕えようとする中途半端な信仰者の姿を見ることができます。
<考えてみよう>
(観察)主のさばきの宣告に対して、ロトや身内の者たちはどのような態度を取りましたか?
そんなことが起こるはずないとどこかで思ってしまっている。
神のさばきを甘く見ている。
(解釈)何故、彼らは、素直に主のみことばが信じられず、従えなかったのでしょうか?
日頃から神様というお方を意識し、神様の御心に沿って歩んでいなかったから。
神様のことばを軽んじていたから。
(適用)この箇所から、信仰や神について(16,21節)何を学ぶことができますか?
神様のことばを素直に聞いて従うことが信仰であり、大事なことであると思った。また一時的なものではなく、継続的なものであり、常に信仰を働かせることが求められている。
神様は、信じることすらできていない弱い人間をもあわれんで、救おうとされ、寄り添ってくださるお方である。
<心に残ったみことばや気づき>
どうしようもない自分をも神様は助けの御手を伸ばして、いや掴んで導いてくださるお方。
だからこそ、その神様を信頼し共に歩み続ける。
<今日の祈り> (教えられたことを短い祈りで表す)
どうしようもない自分をあわれんでください。救いようのない者でありますが、神様の価値観で、神様のみことばの通りに歩めるように私を掴んで導いてください。アーメン
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