【ディボーション継続チャレンジ!】 創世記19章23〜29節 〜46日目〜

ディボーション

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今日のディボーション

ディボーション、継続は本当に難しいなー。かなり間が空いてしまった。けれど、また復帰できてよかった。何に時間を使っていたのだろう・・・ディボーションをするのに、後ろ髪を引く誘惑が多いな。

主イエス・キリストの2024年3月15日(木)聖書箇所:創世記19:23-29(P.46)

<霊的備え>
 まことに 私は自分の背きを知っています。私の罪は いつも私の目の前にあります。
 私はあなたに ただあなたの前に罪ある者です。私はあなたの目に 悪であることを行いました。
 ですから あなたが宣告するとき あなたは正しく さばくとき あなたは清くあられます。                                                                            (詩篇51:3-4)

<理解の手引き>
 「ツォアル」:死海南端の5市連合(ソドム、ゴモラ、アデマ、ツエボイム)のひとつ。
 ロトの時代、モアブの山々から流れる清流が、この地帯を潤し、豊かな文化を形成していました。この時代、ソドムは富に恵まれたぜいたくな町で、略奪するにはうってつけの場所でした(創世記14:11-12参照)。
 紀元前(BC)1900年頃、この一帯が大地震に襲われたことが明らかとなっています。地震と共にこの地方の石油とガスが大火を誘発し、平原の町を跡形もなく滅ぼし去ったのかもしれません。 神はその住民だけでなく、その地の植物に至るまで滅ぼされたのでした。
 このような時、ロトの妻は主のみことばを守らず、後ろを振り返ったために、塩の柱となってしまいました。後ろを振り返ったのは、ソドムの町の自分の財産に未練があったからでした。(ルカ17:31-33参照)

<考えてみよう>
(観察)主のさばきが行われた時、ロトの妻はどうしましたか? その結果はどうでしたか?

自分たちが住んでいた街の方を振り返り、塩の柱になった

(解釈)何故、ロトの妻は主のみことば(17節)を守れず、ソドムの町を振り返ったのでしょうか?

今まで築いてきたものが心残りであったため。残してきた自分の宝が気になってしまった。

(適用)後ろを振り返るとは、今日の私たちの信仰生活にあてはめると、どのようなことでしょうか?

今までの自分を作ってきたものに未練がある。神のことばに従って新たな歩みに魅力と信頼を寄せていない。神様に背を向けること。悪魔の誘惑に負けること。

<心に残ったみことばや気づき>

この世の楽しみや価値観が根強く私たちを取り巻いて影響を与えていること。それは神様よりも優先してしまいやすい危険なもの。

<今日の祈り> (教えられたことを短い祈りで表す)

色々な偶像に取り囲まれ、神様の御心よりも優先してしまいやすい弱い私です。神様との交わりを楽しみ、価値を置くことができますように。アーメン

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