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今日のディボーション
神様の示す、時と行き場所って?祈り続けているとそれがわかってくるのかも。
主イエス・キリストの2024年3月21日(木)聖書箇所:創世記 20:1-7(P.48)
<霊的備え>
神よ 私にきよい心を造り 揺るがない霊を 私のうちに新しくしてください。
私を あなたの御前から投げ捨てず あなたの聖なる御霊を
私から取り去らないでください。あなたの救いの喜びを私に戻し
仕えることを喜ぶ霊で 私をささえてください。 (詩篇51:10-12)
<理解の手引き>
ソドムとゴモラが滅亡した後、アブラハムは南へ移動し、ネゲブ砂漠のオアシスであるベエル・シェバにしばらく滞在しました。何故そこに移動したのかは定かではありません。
その後、何かの事情でゲラルに行きそこに滞在しました。このゲラルは、ベエル・シェバとガザの間にある地で古代ペリシテの町でした。
しかし、アブラハムはゲラルに滞在中、自分の妻サラのことを「これは私の妹です。」と偽りました。それは、妻の故に自分が殺されることを恐れる不信仰から出たことでした。アブラハムは20数年前にもエジプトで同じ失敗をしました。しかし、主はこのアブラハムの失敗の中に介入してくださり、アブラハムを救われたのです。
私たちもまた、多くの失敗をします。しかし、大切なことは、その失敗を通して何を学ぶかということではないでしょうか?
<考えてみよう>
(観察)神は夢で、ゲラルの王アビメレクにどのようなことを告げましたか?
「あなたが召し入れた女のために、死ななければならない」と言われた。
(解釈)神は何故、アビメレクに対して、このようなことを語られたのでしょうか?(6節)
サラは、アブラハムの妻であることを知らせ、アビメレクに罪を犯させないようにするため。
(適用)このことを通して、私たちは神についてどのようなことを学ぶことができますか?
神は正しい者を罪から救い、また、私たち人間の繰り返す失敗と罪を責めはせずに良いようにされる。
<心に残ったみことばや気づき>
人には罪があるが、全ての人が悪い人、悪い考えを持っているわけではない。
信仰者であっても罪を犯し、言い訳をしてしまう。
繰り返す過ちや罪があっても、神様はその罪を責めはせずにむしろ守ろうとしてくださる。
<今日の祈り> (教えられたことを短い祈りで表す)
信仰者と言えないような罪を繰り返すわたしです。しかし、そのわたしの罪により被害が出ないように働かれるお方です。そして、その罪を責めることなく赦してくださるお方です。わたしもその神様の恵みと憐れみに応えられるように整えてください。アーメン
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