創世記2章18〜25節
性のあり方が複雑化する現在において原点となることは?神様が望んでいる異性とはどういうものなのか?
主イエス・キリストの 2024年1月 17日(水) 聖書箇所:創世記 2:18-25(P.5)
<霊的備え>
あなたは 人を御使いよりわずかに欠けがあるものとし
これに栄光と誉れの冠をかぶらせてくださいました。
あなたの御手のわざを人に治めさせ 万物を彼の足の下に置かれました。 (詩篇8:5―6)
<理解の手引き>
ここは、女の創造について記されています。神は、何故「人がひとりでいるのは良くない」と思われたのでしょうか。それは、神のかたちに造られた人間は、人格的な関わりをもとめ、愛する対象を必要とするからです。人は最初から人格者として、他の人格者と交わって生きるように造られていたのです。また、人は、一人では神のみこころを完全に行うことができないからです。男と女が互いに愛し合い結び合わされることを通して、神は彼らに子孫を与えられるのです。女性が人(アダム)に与えられた時,人は女性を〈私の骨からの骨、私の肉からの肉〉(23)と告白しました。「骨肉」という句は血縁関係を表しますが(士9:2)、最初の人アダムにとっては、女性は骨肉の最上級、「骨からの骨」「肉からの肉」であり、文字通り一心同体であったのです。それは「一つの肉に由来する人格の本質に基づく親近感、または第二の自分」を意味しています。そして、本来一つの存在であった男に女が与えられ、二つの存在となり、その二つの存在が結婚において一体化するのです。
<考えてみよう>
(観察)神は、どのようにして、人の助け手としての女を造られましたか?
男のあばら骨の一つを取り、そのあばら骨から女を造られた。
(解釈)何故、神は人のために女を造られたのでしょうか?
女と結び合い、二人が一体となるため。
(適用)女が造られた目的から、神が喜ばれる夫婦の在り方について考えてみましょう。
互いに愛し合い、助け合い、心を一体化する。
<心に残ったみことばや気づき>
あばら骨という心臓を守る骨、身体の中心の骨から女が造られたことは、とても近しい大事な存在として造られたということ。神様がふさわしい助け手と言われている存在であること。
<今日の祈り> (教えられたことを短い祈りで表す)
助け手として異性が造られ、愛し、結び合わされて一体となることがわかりました。アーメン